お笑い・芸人

内海桂子師匠の死因は多臓器不全|若い頃の画像や現在までの波乱人生

2020年8月22日、内海桂子師匠が死去されたことが報じられました。

27日には近親者のみの密葬が行われたようです。

波乱万丈な内海桂子師匠の若い頃の画像や現在までの生涯をまとめました。

内海桂子師匠の死因は多臓器不全

2020年8月28日、漫才コンビ「内海桂子・好江」の内海桂子師匠の訃報が。

死因は多臓器不全で97歳でした。

97歳大往生とはいえ、東京オリンピックまでは頑張るといった発言があったため、新型ウイルスさえなければと思うといたたまれません。

【画像】内海桂子師匠の若い頃

内海桂子師匠の若い頃の画像を紹介します。

内海桂子・好江の若い頃

右が内海桂子師匠になります。

若い頃を見たことがなかったので、かなりレアですね。

内海桂子師匠の若い頃内海桂子師匠の現在

年を重ねても素敵な笑顔は変わりなく素敵でしたね。

内海桂子師匠の現在までの波乱万丈な人生

1922年(大正11年)生まれの内海桂子師匠の現在までの人生は、とても波乱な人生となっております。

両親の駆け落ちで1922年に誕生

内海桂子師匠の両親は駆け落ちしたようです。早速、普通の人では体験できないようなエピソードになっておりますが、1922年駆け落ち先の千葉県銚子市で生まれ、東京市浅草で育つことになります。

しかし、翌年の1923年に襲った関東大震災により、父親と離れ離れに。父はそのまま行方不明になってしまい、父を知らないまま育ったようです。

そして、小学校3年生で中退し、子守り奉公に出されることになります。

1938年に漫才師として初舞台

16歳の1938年に漫才師として浅草橘館で初舞台を飾ります。

ということで、芸歴は81年ということになりますね。

相方は志松という方でしたが、3年後にはこの相方との間に長男が誕生。

しかし、翌年の1942年に相方とのコンビ解消になり、団子の売り歩きやキャバレーをしていたこともあったようです。

1946年に林家染芳とコンビを組み出産

1946年には、林家染芳とコンビを組むことになります。

そして、2人の間に長女が生まれますが、戦後の混乱で婚姻届けが本籍地に届かないという今では考えられない事態が起こってしまい、未婚となっていたようです。

その後は、染芳がヒロポン中毒になったようで別離したとのことでした。

ただ、この当時は合法だったようですね。

1950年に内海桂子・好江誕生

1950年に漫才コンビ内海桂子・好江が誕生します。

当時、内海桂子は28歳、内海好江は14歳ということで、年の差14歳の漫才コンビとなりました。

そして、以下のような賞を受賞しております。

  • 第4回NHK新人漫才コンクール優勝
  • 芸術祭奨励賞受賞
  • 日本芸能実演家団体協議会功労賞表
  • 芸術選奨文部大臣賞受賞
  • 第15回日本放送演芸大賞功労賞受賞
  • 花王名人劇場功労賞受賞
  • 紫綬褒章受章
  • 第7回浅草芸能大賞受賞
  • 第45回放送文化賞受賞
  • 勲四等宝冠章受章

内海好江さんが亡くなる1997年までコンビを組んでいたので、47年間もの間、内海桂子・好江として活動してきました。

ダウンタウンでさえ芸歴38年なので、いかに内海桂子・好江が凄いか分かりますね。

1999年に成田常也と結婚

漫才協団第5代会長に就任した翌年の1999年には、マネージャーである成田常也さんと結婚することになりました。

これまで、2人の男性との間に子供を授かっておりますが、どちらも結婚していないため、77歳で初婚となりました。

同世代に勇気を与える結婚ですね。それだけではなく、88歳の2010年8月にはTwitterを開始し、ほぼ毎日更新し続け、50万人近くのフォロワーを誇るアカウントにまで成長します。

2020年8月22日死去

ほぼ毎日Twitterを更新していた内海桂子師匠でしたが、最後につぶやかれたのが2020年4月14日になります。

このツイートを機に一切つぶやかれなくなったことから、心配する声も多く上がっておりましたが、多臓器不全のため死去しました。

97歳で大往生でした。

スポンサーリンク

内海桂子師匠まとめ

内海桂子師匠の若い頃や、現在までの人生をまとめました。

出生時より波乱万丈な人生でしたね。

芸歴は81年で、内海桂子・好江としての芸歴は47年。大ベテランがまた一人お亡くなりになってしまいました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です