2019年5月に真打に昇進した瀧川鯉斗さんですが、若い頃は暴走族の総長として活動していたそうです。
「売られた喧嘩は買う度胸 売った喧嘩は勝つ根性」をモットーに喧嘩をしていたそう。
若い頃は様々な話がありそうですね。
- 暴走族時代の画像
- 暴走族総長時代のチーム名
- 総長時代の伝説のエピソード
についてまとめました。
100対100の喧嘩もあったようですが、結末はどうなったのでしょうか。
瀧川鯉斗の暴走族総長時代の画像
引用元:デイリー新潮
瀧川鯉斗さんの暴走族総長時代の画像になります。
モロですね。身長も182cmと大きく喧嘩が強そうというのがうかがえます。
ちなみに、現在の瀧川鯉斗さんの画像がこちら。
浅草演芸ホール、瀧川鯉斗さんと❤️名古屋で暴走族の総長だったイケメン❗
お客様、今日も有難うございます(^3^)/ pic.twitter.com/0xP1B5ylML— 講談師 神田紅 (@kandakurenai) March 13, 2020
大分印象が変わりやわらかくなりました。
今は、落語の真打として活躍されているので更生できてよかったですね。
ただ、昔は相当ヤンチャだったようです。
瀧川鯉斗が総長だった名古屋のチーム名はスペクターで伝説のグループ
瀧川鯉斗さんが名古屋で所属していた暴走族のチーム名は「スペクター」になります。
スペクターといえば、ヤンキーでなくても名前は聞いたことがあるくらいの有名で巨大な暴走族グループ。
スペクターって知ってる??
デイブのほうじゃないよ。
昔々、暴走族ってやつがバリバリがんばってた頃、全国的に有名だったグループなんだよ。
そんなことを思い出します。
ちなみに料理はみんな美味しかったよ。 https://t.co/W29CBMX7Uc #retty
— クボ (@kubokky_99) October 20, 2017
そこの12代目名古屋支部総長ということで、バリバリの喧嘩屋だったことが安易に予想できますね。
それを裏付ける伝説のエピソードも語られておりました。
瀧川鯉斗の暴走族総長時代の伝説エピソード
暴走族総長時代の伝説エピソードをまとめました。
17歳でスペクター12代目名古屋支部総長
瀧川鯉斗さんが10台の頃は、名古屋はまだ暴走族ブームで憧れをもって入る若者たちが多かったようです。
その名古屋で支部総長を17歳で任されたとのことですので、相当根性があったのでしょうね。
尾張地方と三河地方で100対100の喧嘩
名古屋の尾張地方と三河地方は因縁があるようです。
元をたどれば尾張の織田信長と三河の徳川家康が仲が悪かったので、継承して現在も仲が悪かったとのこと。
尾張地方と三河地方の喧嘩に参加した瀧川鯉斗さんですが、その時の対決が100対100。もはや喧嘩のレベルではないですね。
最後は収集がつかなくなり、総長同士の対決ということで瀧川鯉斗さんが登場しますが、金属バットで殴られ頭に12針を負おう怪我をしてしまったようです。
しかし、それでも尾張のプライドがあるため、負けを認めずに最後はアッパーを喰らわせ勝利したようです。
MAX300台の先頭で走っていた
瀧川鯉斗さんが暴走族総長時代はMAX300台で走っていたこともあるようです。
その場にいたら、凄い迷惑な話ですね。
サウナから飛び込みたい噴水ベストは久屋大通公園「希望の泉」かな。サウナーみんなはどこの噴水に飛び込みたい?(実際にやると捕まります) pic.twitter.com/ojdqBtXB78
— 酒徳ごうわく (@guwk) March 22, 2019
名古屋に久屋大通公園に有名な噴水があるのですが、そこの周りが暴走族で埋まったようです。
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瀧川鯉斗の暴走族総長時代まとめ
瀧川鯉斗さんが若い頃の暴走族総長時代の伝説のエピソードをまとめました。
画像を見ても相当悪かったことが分かりますね。
とりあえず現在は、落語家として問題は起こしておりませんが、今後心配ですね。
何事もなく、落語家としての人生を歩んでいただきたいです。
